Powered By Blogger

2011年10月20日木曜日

秋の訪れ:世界遺産首里城周辺史跡

南国沖縄も10月の下旬に成ると秋の訪れを感じるようになりました。
世界遺産首里城周辺史跡、弁財天堂や天女橋、龍譚池周辺も秋の風景です。

弁財天堂と天女橋

龍譚池の静かな佇まい


 
国指定重要文化財(建造物):昭和47年5月15日指定:那覇市首里当蔵町1丁目2
天女橋は,円鑑池の北岸から,弁財天堂の建つ中之島の東北角へ架け渡された橋で,一名観蓮橋とも称す。尚徳王時代(1467)に朝鮮から贈られた方冊蔵経を納めるため,尚真王時代(1502)に円鑑池内の中之島に堂宇とともに創建されたものであるが慶長の役に堂字は破壊し,方冊蔵経も散逸したので尚豊王時代(1621)堂宇を再建し,円覚寺から弁財天女像を勧請安置して弁財天堂と称し,橋も天女橋と呼ばれるようになった。その重修天女橋碑記によれば尚敬王時代(1744)尚温王時代(1798)の二回にわたって修理がなされたと記されている。現在の天女橋は今次大戦で破壊されたものを昭和44年3月復旧整備した。この橋は高欄付石造単拱(アーチ)橋で,橋台は石灰岩の切石を布積みとし,拱環石は長い石を二枚と三枚継ぎの劣弧としている。高欄は微粒砂岩を用い,地覆を据えて逆蓮宝珠の親柱を立て,両端の登り斜路を三等分にし,中央部を五等分にして握蓮の斗束を立て,平桁,架木を組む。梁石は長尺ものを用いて木鼻を付けて持出し敷石の位置に高欄の地覆を据えている。この橋は中国南部地方に多い駝背橋(だはいきょう)の形式の特徴を持つ橋である。戦前の沖縄には多くの拱橋があったが,そのほとんどが戦災で失われた現在,天女橋は最もよく整った唯一の遺構であり,意匠,構造ともに特色がある。